Hiviki Story

サイキックエンターティナー・メンタリスト・アクティベイター   響 仁

1966年4月11日広島市西区天満町生まれ。

1988年サイキックパフォーマー・メンタリストとしてTVに出演を機にプロとしてデビュー。ホテルや豪華客船でのショーを中心に活躍。 2000年に広島が世界に誇れるエンターテイメントバーとして、マジック&ショットバーHivikiをオープン、TBSの番組「USOジャパン⁈」のマジックバトルでは、日本のトップマジシャンである事を証明。その他TV・CMの出演も多数。

マジックとの出会い

私の母は、僕が幼少の頃より、何か学習になる様な玩具でないと買ってはくれなかったのでミニカーの様な一般的な子供の玩具は一度も買ってもらった事がありませんでした。5歳の時テレビでマジックの存在を知り、幸いトランプは我が家にもあったので、見様見真似で練習をする様になりました。家に遊ぶ玩具がなかったことで、僕の唯一の楽しい遊びとなったのです。現在と違い本屋に行っても子供騙しの手品の本が一冊あるだけ、手品の道具なども見た事すらありませんでした。見様見真似の独学なので今思えばひどいマジックだったと思うのですが僕の一番の楽しみとなりました。

僕にとって一段とマジックにのめり込むきっかけとなったのは、8歳の時に文房具店で埃を被った宝箱の形をした(紙製)マジックセットを発見したことです。お小遣いの全てをはたいて購入した事を今でも鮮明に覚えています。最初は親は購入を反対していましたが、マジックなら勉強につながるのではと、渋々了承してくれたのです、しかしこの事が将来の仕事となるとは、その時は僕も親も知る術もありませんでした。まさに運命の出会いだったのだと思います。

初めて人前でマジックを披露

小学校に入学してからの僕は、常に学年のリーダー的な役割りでした。クラスのお楽しみ会も僕がクイズや推理ゲームをつくったり、お芝居をしたり歌を歌ったり、小学校2年生の時、流石に出し物も尽きてきて、ふとしたきっかけで「そういえば、俺マジック出来るよ」って言ったら、みんなが見たい見たいと言ってくれて、マジックを披露する事になりました。本番では全て上手くいき、クラスみんな喜んでくれました。しかしその時僕は、生まれて初めての緊張を知りました。人前で喋る事など慣れっ子だった僕が緊張のあまり、しどろもどろだった気がします。僕は8歳にして気付いたのです。マジックを人前で披露するという事は、どんな簡単なマジックでも毎日毎日、何回も何回も練習を繰り返し何年も何年も、目をつぶっていても、何も考えなくても身体が勝手に反応するくらい、気が遠くなるほどの練習をして、初めて人前で披露する資格があるのだと、幼くしてマジックは大変な物だと気付いたおかげでプロとして現在も僕が人前にたてているのだと思います。

超能力との出会い

小学2年生の時、テレビではユリゲラーが登場して世界中で超能力ブームとなりました。僕も番組をみて興味を持ち、彼が3回目の来日の時(当時僕は小学5年生)スプーンを持って番組をみていました。優しくスプーンを摩っていただけなのに、硬いカレー用スプーンが見事に曲がっていたのです。摩るだけ、触れているだけでスプーンが曲がる、今の様に「エィ!」って力を入れて曲げるものとユリゲラーのスプーン曲げは全く別物でした。 それから、日本でもマジックでは絶対に不可能な事が出来る人が沢山現れてきて、僕も超能力研究に没頭するようになりました。

メンタリズムとの出会い

中学1年のとき、心理学者の加藤諦三さんの本に出会い、人を愛する事とは、愛しているとも告げないで、その人が幸せであり続ける事を陰で見守る事という言葉に衝撃を受けました。今まで承認欲求の強い自分自身が恥ずかしく、愚かであったことを思い知らされたのです。その時から人の心理に興味を持ち、心理学の本を読み漁っていました。高校生になって初めて、心理学を使って人の心を読んだりするメンタリズムという存在を知り、当初はメンタリズムの本など日本には一冊もなかったので、どうすれば人の心が読めるのか探究する事が楽しくなってきました。通学中に電車の席が空くと誰が座るか予測したり、落とし物を見つけると誰が拾って、その後その人がどんな行動をするかを想像したり、日常の些細な出来事も僕にとっては沢山の事を教えてくれる、最高の教材に思えたのです。

初めてのテレビ出演でプロとしての道が

1988年、Mrマリックさんが衝撃のデビューの時、僕も広島で二人のプロデューサーが僕に興味をもって下さり。その年の年末にローカル番組ではありますが、1時間番組の45分を、しかも生放送で、僕の為に枠をつくって頂けました。その当時全く無名の僕に45分もの出演枠を用意して頂けたのは本当に奇跡だと思います。その番組出演のおかげで出演依頼が殺到、プロとしての第一歩がはじまりました。

逆風も

折角プロとして、順調なスタートを切れたのに、思わぬ壁が立ちはだかります。広島のホテルというホテルがマジックショーは一切認めないというのです。詳しく話しを聞いていくと、歴代の広島のマジシャンがホテルでのショーで失敗を繰り返し、ホテルやお客様に多大な迷惑をかけ続けた結果だという事がわかりました。それからは一つ一つ信頼を築いていく地道な努力で、数年かけて過去のマジシャンの悪評を払拭することが出来ました。2000年にリーガロイヤルホテル広島からプレミアムイベントへのゲスト出演の依頼がきた時は、険しい道のりだった為に感慨深いものがありました。

今までの経験を活かして、新しいエンターテイメントの世界を

超能力の研究やメンタリズムの研究をしていると不思議な体験を多くする様になりました。初めて行く場所なのに、この先何があるかわかったり、会いたい友達と今日何処に行けば会えるかわかったり、完全に遅刻したはずなのに時間が巻き戻っていたり、考えたことも無いメッセージが聞こえてきたり、そしていつしか、この体験を皆さんに知ってもらいたいとパフォーマンスに実話を取り入れたのが、現在のサイキックエンターテイメント「リアルファンタジー」という世界観です。

Hivikiの理論・響の理論

神の御霊とか、神からの声とか、宇宙からのメッセージとか、引き寄せの法則とか、スピリチュアル的にはハイヤーセルフとかチャネリングとか、それぞれライフスタイルの違いから、感じ取り方は違っても、どれも同じ事の存在の証明になっています。それがHivikiの理論で、どれも素粒子の意思を指しているのだと思われます。人は自我を捨て無となる時、神が仕掛けた素粒子の意思が聞こえてきます。Hivikiの理論は原点(大元)の為、どんな理論とも共振共鳴して相乗効果を産むのだと考えます。これからは何とも争わない、全ての物と共生していく、そんな時代だと僕は予言したい。

サイキックエンターテイメント「リアルファンタジー」とは

マジックや手品と目的が違い、「なんで?どうして?」と言う疑問を捨て頂きたい、何故ならそこには楽しくて、不思議な物語が溢れているからです。皆さんが人生という長い長い物語を歩んでいる中で、今まで経験した事の無い不思議な1ページを皆さんと共有していたい。そしてこれから、皆さんが主役の「リアルファンタジー」がより楽しい人生のストーリーを紡いで頂ることこそが、リアルファンタジーの目的だからです。

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